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3/18^16:02:11
【副作用】
人間なら誰もが時には病になり、病になれば薬を服用する。治癒の為には薬の服用は最重要だが、その際、悩ましいことが一つある。副作用である。

患者の心理からすれば、なぜ副作用のない薬が開発できないものかと不満が募る。しかし、薬学の専門家によれば、彼らはそもそも副作用を排除する思考はしないらしい。

どんな薬だって化学国「に基づき、その効狽ェ確立されている。ただ、薬を服用すれば、どうしても全身に回り、ある臓器にはプラスに働いても、別の臓器にはマイナスに働いてしまうことがある。また、ある成分は病の種類によっては作用・副作用が逆転する。

だから、専門家は薬の副作用を絶無にすることより、効狽フバランスに配慮した開発を心掛けるのだという。仮に、副作用がない薬があったとしても、飲み方を誤れば、その行為そのものが副作用と同じ結果を招く。

薬に限らず、物事の成り行きにおいて、副作用らしきことはたびたび経験する。毛嫌いせずに、少々の副作用は異なもの、味なものと考え、大人の振る舞いで対処したい。
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2/10^16:41:52
【答えること問うこと】 
試験が始まり、問題用紙が配られる。「始め」の声に用紙をめくって問題を見る。緊張が走る。問題をゆっくり眺めながら、学んだ知識を整理して解答に取り掛かる。こうして学生時代、どれだけの問いに答えてきたことだろう。

大人になると、問題用紙は配られない。その代わりに、仕事の進捗一つひとつが大問題、日々対応に掛かり切りになっていく。こんな具合で、私たちは与えられた問いに答えるばかりの人生を歩んできた感がある。

それが悪いわけではないけれど、そんな人生にどっぷりと浸かっている今だからこそ、自ら問う、自らへも問う姿勢が必要ではないだろうか。

問えばたくさんの意義が現れる。知るために問うのはもちろんで、それが理解を深め、考えを極める。

また自らを開放するためにも、問うことは重要だ。やりたいことを忘れずに、やるべきことばかりに左右されないように。本当の自分とはいったい何者なのだろう?

人生の主役は自分。そうあるために、答えると同時に問うことを怠ってはならない。
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1/25^13:03:49
【絵は自在に】
子どもが描く絵はいずれも天才の冴えがある。ところが小学生になり、中学生から大人へとなるにつれて、次第に描けなくなってしまう。

うまく描かなければという焦り、恥は描きたくないといった緊張。あるいは、技法を知らないからという言い訳や理屈が邪魔をして、筆が一向に進まなくなるのである。

絵を描くコツは、こうした上手に描こうという捉われから、まず己を解放するところにあるのではないだろうか。他人の眼を気にせず、自分らしさに徹すれば、描く楽しさを思い出し、再びうまく描けるようになるに違いない。

人生も同じで、幼少のころ思い描いた将来は自由自在であったはず。それが年を重ね、学年の階段を上るうちに、過去の成績や他人との比較、社会の価値観に影響を受けて、つい思考が窮屈になっていく。失敗作にならないよう汲々としたのかもしれない。

自分の人生の絵が描けるのは自分だけ。たいせなのはその絵を自在に描くことではあるまいか。さあ、年の始めにふさわしい今こそ、夢のある絵を描いてみよう。
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1/25^13:03:17
【自分との対話】
私たちの多くは、自分の人格が一つではないことを知っている。たとえば、物事を決める場合、私たちはつい利己的な方向に終始する。

勝負事ともなれば、勝てばおごり、負ければ意欲を失う面倒な人格の自分もいる。利他の精神などととてもおぼつかない。

そんな中でも、自分を客観的に見つめる聡明な自分は、必ずいる。ただ問題は、その聡明な自分が、必要なとき、必要な場面で浮黷トくれるかどうかであろう。もしそれが必要となれば、常に分別ある判断ができるし、道を誤ることはない。

ところが、聡明な自分こそ心の奥から容易に出てきてはくれない。反省しきりの頃にようやく登場なのである。日常の自分は、世間体や常識にとらわれるし、常に感情的と言ってもよい。心もとないことはな花だしい。

とはいえ、頼みになる自分でいるには、日常から心を静め、素直な心で、様々な自分との対話を重ねることしかないのではないか。聡明であるたいと願う心が、少しずつ人格を変えるはず。望まない自分徒もいつか決別できると信じたい。
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1/23^09:49:56
自分の感情に気づくことが第一歩。
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1/23^09:49:37
お互いを尊重し、学び合い、話し合う。
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1/23^09:49:21
相手がホッとしていると、自分もラクでいられます。
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1/23^09:49:02
あの笑顔には一点の曇りもなかった。
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1/23^09:48:45
現状からの足し算で相手を見る。
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1/23^09:48:27
誤った理解や偏見をそのままにせず、実態を正しく知ろう。
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1/23^09:48:06
平等にかかわるコミュニケーションは心地よい。
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1/23^09:47:48
どんなことでも喜び、毎日を楽しめる人になりたい。
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1/23^09:47:30
一緒にいる時間が減ると、付き合いの密度も薄くなる。
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1/23^09:47:10
人間関係なんて、必ず揉めるようにできている。
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1/23^09:46:44
今の自分にできることをしっかりとやる。
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1/5^10:17:33
【日比是新:柳原鉄太郎】
年が改まれば心も改まる。心が改まればおめでたい。正月だけがおめでたいのではない。心が改まった時、それはいつでもおめでたい。

昨日も今日も、自然の動きには何ら変わりはない。照る陽、吹く風、みんな同じ。それでも心が改まれば、見るもの聞くものが、みんな新しい。

年の初めは元日で、一日の初めは朝起きた時。年の初めがおめでたければ、朝起きた時も同じこと。毎朝、心が改まれば、毎日がお正月。改まった心には、すべてのものが新しく、すべてのものがおめでたい。

昨日は昨日、今日は今日。昨日の苦労を今日まで持ち越すことはない。「一日の苦労は一日にて足れり」というように、今日はまた今日の運命が開ける。昨日の分まで背負ってはいられない。毎日が新しく、毎日が門出である。

日々是新なれば、すなわち日々是好日。素直で謙虚で、しかも創意に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気。

さあ、みんな元気で、新たな日々を迎えよう。
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1/3^13:22:01
【自分との対話】
私たちの多くは、自分の人格が一つではないことを知っている。たとえば、物事を決める場合、私たちはつい利己的な方向に終始する。

勝負事ともなれば、勝てば驕り、負ければ意欲を失う面倒な人格の自分もいる。利他の精神などとても覚束ない。

そんななかでも、自分を客観的に見つめる聡明な自分は、必ずいる。ただ問題は、その聡明な自分が、必要なとき、必要な場面で現れるかどうかであろう。もしそれが可狽ニなれば、常に分別ある判断ができるし、道を誤ることはない。

ところが、聡明な自分こそ心の奥から容易に出てきてはくれない。反省しきりの頃にようやくご登場なのである。

日常の自分は、世間体や常識といってもよい。心もとないこと甚だしい。

とはいえ、頼みごとになる自分でいるには、日常から心を静め、素直な心で、さまざまな自分との対話を重なることしかないのではないか。聡明でありたいと願う心が、少しずつ人格を変えるはず。望まない自分ともいつか決別できると信じたい。
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1/3^13:20:32
【本当の志】
進学の時、人生の選択を迎えたりすると、人はにわかに進路を選択しなければならないことに気づく、すると、世間における自分相場が一気にはじき出され、いつしか人と競合している現実を知る。

今さらながら、世の中は多くの人生がぶつかり合い、競り合って共存している。誰もが決めてしまった第一志望を頭上に掲げ、一歩も引きたくない思い出努力を始める。

ただ、たとえ選択に勝ち残っても、理想のキャリアに直結するとは限らない。真に自分が望む生き方に沿うかどうかが問題で、年を経ら間にそこをきっちり見定めることができるかが大切である。

ともすれば人は、何をしたいかより、どちらが有利か不利かで判断してしまう。そして後になって、第一志望でなければいけない理由など、たいしてなかったことを悟るのだ。

どんなに生きがいを持って生きてゆくのか、自分の本当の志にこだわっていくべきか。人生は長くなったが、志を得るには短い。一度の人生、必要なのはじっくり振り替えった時間なのかもしれない。
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1/3^13:20:00
【涙】
産まれたわが子を初めて見る若き母親の安堵の涙、親を失ったおりに流れる惜別の涙、あるいは美しい映像や音楽に昂って流す涙。

さまざまな涙があるけれど、うれし涙だけが望ましいというものではない。悔し涙を流した体験が人を発奮、成長させ、うれし涙を味わうことに繋がっていく場合もあるからである。これからどんな由縁で泣くにせよ、都度、何がしかの彩りを人生に与えてくれるのが涙であるのは間違いない。

今、涙活という言葉を耳にする。それは意識的に感情を昂らせ、涙を流すことでストレスを解消しようという意味の現代用語である。現代人は周囲との摩擦を避けるために感情を抑え、本音を容易に話せない。だから、言わば理屈や規則に縛られた社会へ反発するように、無理して泣いて鬱憤を晴らすようとするのであろう。

強制的に自分を泣かすまでしなくとも、人は時に心ゆくまで涙を流してよい。単に自分を解放するためだけでなく、人としてもっと自然に生きるため、そしてより豊かな人間性を養うためにも。
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1/3^13:19:27
【心根】
人間は善い人や悪い人、賢い人に愚かな人、情熱的な人や冷静な人など、沢山の人に分類されるものではない。

一人の人間の中に、例えば正直な心が宿っている時間が長い時もあれば、不誠実な心に支配されている時間が長い場合もあるように、沢山の心が顕れては消えていく。

今、戦争をしている人の中にも生まれて初めて残忍な心に染まった人がいるだろうし、良心の呵責に耐えきれず、血の涙を流している人だっている事だろう。

儘ならない、まして心ならず自分の信念に反した仕事を強いられるのは悲しい限りである。世界や社会が複雑になって、楓ハから推察できない不条理が、胸の奥の美しい心根を痛めつけてはいないか。

怒りが怒りを呼び、心の中が抹莱Jに晒されている事もあるだろう。例え一時そうなったとしても、人の心根に宿る善性は必ず復元できると信じたい。

人の絆や家族や社会が分断されないように、忘れがちになる自分の内なる無垢な心根だけは守っていこう。心根を決して腐らせてはならない。
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